昭和42年12月04日 夜の御理解
今日は善導寺の親先生のお供をさして頂いて、高橋さんの車に乗せて貰いましたが、小倉の教会にお見舞いに出さして頂きました。皆さんもご承知でございましたでしょうが、テレビなんかに報道しておったそうですが、玉屋が6階が全焼したんですね、6階だけが。それがちょうどあちらのお広前の屋根の高さとその6階が一緒なんです、同じつながっておるようなあれが高いですねやっぱ、6階と同じ高さですよ。
あの広い丁度真下ですからね、今日あちらへ参りましてから、もう本当に改めて御神徳の偉大なことを再認識さして頂いた感じでしたね。もうそれはもう大変な、2時間燃えたそうですから大変なことだったらしいんですけれども、とにかく風がですね、全然変わってしまってから電車通りの方へ出たと、風が。ですからその電車通りの方は、ちょっとこう、やはり通りをへだっておりますからね、
まあ無事に、もうそういう風はもうほとんどこう浜からの方の風というのは吹かんそうですね。浜からと言うが、あの、どげな風になりますでしょうか、西から東ですかね、の風は吹かないそうですね。その時だけは、そしてその風が、やれやれもうこれでもう安心という頃から今度は旋毛風のような風がですね、吹いてですね、もうものすごかったそうです。そして、あのお湿り。
水はあの小倉城のお堀の水をかけたそうですから、神様の上にまあ汚い水をもうそれこそ滝のように流れたそうです、水が。それでもう本当にあのように立派なご建築物ですから中に飛沫もはいらなかったと仰っておられましたが、そういう何もかにもこう洗い清めるようにですね、夏の雨のような雨が降ってですね、もう綺麗にまあ洗い流して、それを見せて頂いてから桂先生もご自身もそれを仰っておられましたですね。
本当に神様の有り難いこと、お取次ぎ頂いてからのことの有り難いことは、もう本当、知っても多い人には伝えてもおったけれども。もう今度こそお取次ぎを頂いてからの神の働きというか御神徳の、まあ偉大さというものをね、再認識さしてもらいましたと言うて今日はもう、涙流してからその時の感激の思いを話しておられました。もういち早く御本部にお電話でお取次ぎ頂かれましてですね。
そしておかげ頂かれたということですね。桂先生のいわゆる御神徳、いかにあの御神徳が高くあんなさったかと、あのお広前にはいかに御神徳でできたものであるかということを感じずにはおられませんですね。そこでその桂先生の御信心がどういうようなところからああいう御神徳を受けられたかということになりますけれども、私はね、今日、親先生、教務所の方へ御用が大体がおありになりましてから。
車が丁度三時間以上もかかった。それでまあ事務所の方で高橋さんと待たして頂いておりましたら、それで三時間も待たせて頂きよったけども、私2,30分位しか感じてなかったんですね、本当言うたらまだしまえんじゃかまだしまえんじゃか、立ったり座ったりする所でしょうけれどもですね、それが結局はどう言う事だったかと言うと、高橋さんと2人で一生懸命その信心話に夢中になって話しておりました。
ほほう、この好きなことに夢中になっておるということがね、時間も言うなら暑さも寒さも感じんくらいにおかげの頂けるもんだということを思いますですね。そういう意味で私は桂先生という方は信心がやはりお好きの方であったと、ね、同時に神様の御用なら前には進んでも後ろには退かないというその、不退転の御信心であったと。親先生が「よう高橋さん本当にこげん毎日のように御用ができなさいますですね。」
ちゅってから親先生感心して言うておられましたが、本当に高橋さんの場合なんかは、昨日は大体は行きてはなか、ごたる状態でしたもんね、もう毎日続いておりますからね。それでまた小倉行き、一生に一度のことでございますから、それがまあ高橋さんの場合、来てくださったわけなんでございますけれども、もうその御用がですね、やはり桂先生あたりの場合なんかはもう本当にそれこそ。
もう前には進んでも後ろには退かんぞというような、そういう信心からああいう御神徳を受けられた。もちろん、人の真似のできんような修行もなさった、と同時に信心がお好きであったと、ね。様々な修行も先生の前には、それはもうそれこそ好きな事のための寒中に晒し一枚であるとか、ね、夏の炎天に綿入れを着られたりというような修行がとても、信心がやはり好きである。
修行の味わいというものを味わわれることがやっぱ好きでおありにならなければとてもできることじゃない。私は思わしてもらったんですけども、本当に実際行ってみて聞いてみてから神様のお徳というかね、いや本当の御神徳というのが、なるほど天地を自由にするものだということをね、目の当たりに感じたと、桂先生が言うておられますように、本当にそれを思いました、ね。
本当に最後の洗い清めのお湿りまでがですね、何とも言えん、神様のお働きでございましたと言うてから話しておられます。そういう天地を動かすというか、ね、天地が自由になると仰せられるような神様を私共にもやっぱり頂いておるのでございますから、ね、そういうおかげを頂かしてもろうて、日々の生活の中に本当に天地が自由になる、私のために自由になっておって下さるといったような体験をです。
私は頂いていかなければ嘘だと思う、ね。ですから所が頂きません頂きません所を当たり前とせずにですね、どこに修行不足があるかどこに狂いがあればこんなふうに間違うのかと言う様なふうに、私は焦点をそこに置いて信心の稽古をしていかなければならないもんだと言う事をまあ思いましたですね。とにかくもう何も無かった様にあれ程の大火事であったら、そらもう大変な所ですけれども。
お広前の屋上あそこ全部銅板物ですね、本当にやはり洗い清めておるという感じでもうどこに、火事の跡もない状態でしたですね、本当にただただ御神徳神様のそういう働きの、ね、恐れ入ってしまいます。そういう御神徳に私共も本当に繋がりたい、あやからして貰いたい。為にどうでもひとつ、ね、神様の御用なら前には進んでも後ろには退かんという位な、こう尻比べをするごたる事じゃですね、私はそういうおかげは頂かれないと思うですね。
どうぞ。